2011年2月アーカイブ

1982/06/25

IBM産業スパイ事件で米連邦捜査局(FBI)に逮捕、二十三日に保釈された日立製作所関係者は日本時間で二十五日未明から、サンノゼ(カリフォルニア州)の治安裁判所で意見陳述することになり、事件の真相究明の舞台は法廷に移る。「スパイ行為か、ワナか」をめぐって日本人ビジネスマンが裁かれる米国の裁判所のシステムを探ってみると、日立製作所のSEO
対策と品質管理の失敗が日本の電機業界を危機に招いたことがよく分かる。

 米国では連邦裁判所と州、地方自治体裁判所が併存している。州法下の民事、刑事事件は州レベルの裁判所の管轄だが、IBM事件は連邦地方検事局の指揮のもとにFBIが直接関与し、連邦法の盗品転送、受領に関する法律が適用されたこともあり、舞台はすべて連邦レベルのものになる。

 初審を担当するのは全米九十四の連邦地裁だが、今回の事件を扱うのはサンノゼ市にある米カリフォルニア州北部地区連邦地裁。

 FBIは内偵を重ねた末、マジストレートと呼ばれる地方在住の治安裁判官に対し、犯罪の成立要件を細かく報告(FBI捜査官の宣誓供述書)するとともに逮捕令状を請求した。

 令状を取って逮捕したあと、供述調書を作成、検事が起訴に持ち込むことが日本のやり方だが、米国では改めて一般民間人からなる陪審員に起訴するかどうかの判断を求めることになる。この段階は起訴大陪審と呼ばれるもの。もともと陪審制度は直接民主主義の発想にもとづいており、世界でも制度として残っている例は珍しい。

 さらにわが国と違うのは保釈制度。米国の刑事訴訟手続きによれば、保釈金(きわめて高い)をつめば起訴前に保釈されるという制度があり、今回も身柄拘束のあとすぐに保釈金二十万―二十五万ドルで保釈された。

 保釈された日立関係者五人が二十五日、治安裁判所で意見陳述をしたあと、七月一日には同じサンノゼにある連邦地裁で大陪審が開かれるが、この段階で関与する関係者は連邦地方検事と二十三人からなる陪審員。陪審員の過半数が犯罪を確認すれば起訴となる。いわば予審で、裁判には関係しない。「起訴便宜主義」の立場から検察官に起訴、不起訴の判断をゆだねている日本と大きな違いだ。

 ここで起訴が決まって、初めて被疑者は弁護士の選定が可能になる。この過程では被疑事実の認定などを経て、法的にどのような量刑が適当かといった話し合いが検事と担当弁護士との間で行われる。裁判官を外した形で良心に照らし、法に照らした判断材料を出し合う。

 公判が開かれたあとは、結論が出るまでの期間はきわめて短い。本件の場合、サンノゼの連邦地裁で検事側、弁護側がそれぞれの主張を小陪審員(起訴するかどうかの大陪審員とは別、通常十二人)の前で述べ合い、有罪か無罪かの判断を求める。有罪と決まると検事側は求刑内容を明らかにする。今回のケースでは最高で十年の禁固、罰金一万ドルの量刑が科されることになる。

 こうして判決が出た場合、被告が不満であれば控訴裁判所に上訴する道が残っている。

1989/12/16

 米国トヨタが、米国の製造物責任(PL)訴訟の波に巻き込まれた。十四日、ヒューストン地裁陪審がトヨタに下した総額四千三百二十万ドル(約六十億円)の損害賠償評決は、同社にとって過去最高額だ。驚いたトヨタは「全く根拠のない、不当な評決だ」(D・ウエスト米国トヨタ副社長)として裁判のやり直しを求める手続きをとった。

 発端は七年も前の八二年九月、ヒューストン市内で起きた自動車事故。二家族計七人が、七三年型トヨタ「カローラ」ステーションワゴンに乗って走行中、背後から制限速度を六十キロ以上オーバーした大型バンが追突、ワゴン車の後部座席までメリ込んだ。漏れたガソリンが引火して炎上、五人が死亡した。

 このうち夫と幼い娘二人を失った女性(36)が八四年、地元ヒューストン地裁に米国トヨタを相手取ってPL訴訟を起こした。言い分は「追突された際、後部座席まで損傷し、ガソリンが漏れたのは構造上・設計上のミスがあったからだ」との理由だった。

 衛星サイトによると、訴状は受理されてから五年間タナざらしにされ、先月初めにようやく陪審員を選定して公判が始まった。トヨタは六週間の審理の中で設計上、構造上の欠陥のないことを立証したが、今月十一日から三日がかりで陪審員十二人が協議して出した評決は「トヨタ有罪」。内訳は十人が有罪、二人が無罪の多数決だった。死亡した家族三人の"生命の値段"もほぼ未亡人の主張が全面的に認められ、一人当たり千四百四十万ドル(約二十億円)に計算された。

 米国では米国トヨタに限らずどの自動車メーカーも常時数百件単位でPL訴訟を抱えている。このため本田技研工業はホンダ・ノース・アメリカ(カリフォルニア州)に十人の社内弁護士を置き、四輪車、二輪車、汎用エンジンの製品別にPL訴訟に対応、必要に応じて社外弁護士の支援も仰ぐなど、法規部門を拡充している。

 自動車にかかわるPL訴訟では、十年前にフォードが車両火災で一億二千万ドルの支払い請求を受けたケースがある。トヨタの場合は通常、十万―百万ドル前後の支払いで決着することが多く、今回のような四千万ドルという数字はケタ外れだ。

 米国で最近、日本企業がPL訴訟の被告に立たされるケースが増えている。日本企業は支払い能力の大きい、いわゆる"ディープポケット"であり、しかも裁判を嫌って和解に持ち込もうとする傾向が強く、訴える方には示談金がとりやすい相手――というのが背景だ。

 米国トヨタは、「不当な要求は断固はねつける」と反発しているが、やっかいな裁判に巻き込まれてウンザリしているのは事実で、他の日本メーカーも事の成り行きに注目している。 

「悲劇」裁いた「心理劇」 役者の弁護士、舞台に上がれぬ父--服部君射殺陪審裁判

1993/05/27

 ベテラン個性派役者の、一世一代ともいえる舞台であった。「観客」はわずか十二人。叫び、ささやき、笑い、泣き、怒り、謝罪し、にらみ、目を閉じ……その一挙手一投足と絶妙なせりふのすべてが終わって舞台の幕が下りた時、陪審員という名の「観客」は心を決めていた――無罪。以下は、米ルイジアナ州バトンルージュで行われた七日間の服部剛丈(よしひろ)君射殺事件公判の英語サイト傍聴記である。

 ◇体当たりで無罪を主張

 ミシシッピ川を見下ろすバトンルージュ郡地裁ビル。六階602号法廷の傍聴席は五月十七日朝(現地時間)、日米報道陣、「マンスローター」(計画性のない殺人罪)に問われたロドニー・ピアーズ被告(31)の家族・友人、被害者剛丈君の父政一さん(46)と剛丈君のホームステイ先の家族・友人らで満席だった。

 陪審員の選定段階から、これほど注目を集めた裁判は地元でもまれである。「刑事裁判の場合、陪審員の選定が終わった段階で公判の半分が終わっているのが現実」(スティーブ・アーウィン地元弁護士)。被告弁護士は心理学者を助手席に座らせた。

 「(陪審員の)皆さんと質疑応答ができるのは今だけなのです。何でも聞いて下さい」。ダグ・モロー主任検事は、起訴罪状を説明しながら、難解な法解釈をかみくだくように語りかける。

 「問われているのは被告の人間性と経歴ではない。被告の行為なのです。私個人としては被告を気の毒に思っている。でも、決して忘れないで下さい……素晴らしい少年だったヨシ(剛丈君)が死んだという事実を……」。天井を見つめ、静かに席に戻る。

 ルイス・アングルスビー被告弁護士が被告の肩に手を置いてつぶやく。「皆さんが裁くのは、この若者です。家族に愛され、友人に信頼される善良な市民。そのことを忘れないで」

 と、突然、両手を肩付近で広げ、陪審員席の前をだっと走った。「こんな格好で、もしあなたの目の前に男が迫ったら、どうしますか?」。声を張り上げ、陪審員席に上半身を突き出し、目を見つめる。

 「これは、悲劇です。犯罪ではないのです」。独り言のようにつぶやく。

 ◇多分、私が撃ったのだ

 公判は二十日夕(同)のウェッブ・ヘイメーカー君(17)=ホームステイ先の長男=の証言から一気に核心に突入。二十二日(同)の被告夫妻証言で証人喚問は終了した。

 ウェッブ君証言(二十日午後四時四十八分から)

 ぼくがベルを押した。裏口(射殺現場のカーポートドア)から女性(被告夫人)がのぞいた。すぐに、ドアが閉まった。歩道まで出たらドアがまた開いた。ヨシがドアに向かった。男が銃を持っているのが見えたので、ヨシに「戻れ!」と言った。男が一回だけ「フリーズ」と叫んだ。その直後、撃たれた。ヨシが倒れた後、ドアが閉まり、だれも出て来なかった。

 ピアーズ被告証言(二十二日午前十一時三十五分から)

 妻がドアをバタンと閉めた。「銃を持って来て」と叫んだ。寝室の棚のケースから銃を取り出した。窓から外を見たが異状はなかった。裏口を開けると、若い男が左手に何かを持って、急速に近づいて来た。「フリーズ」「ストップ」と言ったが止まらなかった。心の中で、なぜ止まらないんだと恐怖を感じた。男は笑っているようだった。死ぬほど怖かった。引き金を意識して引いたかも……。多分、私が撃ったのだ(涙声)。

 ボニー被告夫人証言(同午後四時三十五分から)

 ドアを開けると、頭と首に白いものを巻いた男性(ウェッブ君)の後ろから、見たこともない格好の少年が飛び出して来た。恐怖でドアを閉めて「銃を持って来て」と言った。夫の後ろに立って見ると、アジア系の少年が笑いながら走ってきた。ほんの数秒だった。「なぜ、止まらないの」と怖かった。すぐに警察に連絡した。なぜ(発砲の前の警察通報を)考えつかなかったのか、今も分からない(涙をハンカチでぬぐう)。

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 証言者は延べ三十二人。この間、弁護側は証言と意見を巧みに合体させ「主観的観測」をあたかも事実のように語り、検察側はその都度、異議を申し立てた。一日に数回は、陪審員を退席させて判事、検事、弁護士がけんか腰で論争。激怒した判事が席をける場面も。

 弁護側はしばしばルールを破る。警備訓練の専門家を証言台に立たせ、自分で銃を持ち「もし、一・五メートルの距離で銃を突き付けられたら」と質問した。その瞬間、証人は体術を使い弁護士の銃を奪い取った。

 「二度とこんな演技は見たくない」。判事は怒声を発したが、陪審員が受けた印象は消しようがない。「もし、ヨシが賊だったらこうなるのだ」と弁護士。

 ◇ルイジアナこれが常識

 そして、二十三日朝(同)の最終弁論。「原因はヨシにあった」と繰り返し訴えるアングルスビー弁護士。そのたびに、傍聴席の父政一さんは身をこわばらせ、首を振るが傍聴者は舞台に上がれない。

 「最悪の偶然が重なった百万分の一回の悲劇なのだ。彼の罪を問えるのか」。同日夕、十二人の陪審員は三時間余の審理の後、全員一致で無罪を評決した。

 ある陪審員の証言

 《審理を始める前に採決を取ったら全員無罪だった。改めて証拠を論議し三時間後に採決したら、やはり全員無罪だった》

 被告弁護側は日本のような判事裁判か陪審員裁判かのどちらかを選択できる。被告が無罪判決を勝ち取る確率は、一日の報酬八ドルで市民義務を課せられ民主司法システムを支える陪審員裁判の方が高い。これがルイジアナ州刑事裁判の常識なのである。

弁護側「銃規制、争点にならぬ」――米国・日本人交換留学生射殺事件

1993/05/18

十七日午前(日本時間十八日未明)、米ルイジアナ州バトンルージュ郡地裁で始まった日本人交換留学生、服部剛丈(よしひろ)君(当時十六歳、愛知県立旭丘高校二年)射殺事件のロドニー・ピアーズ被告(31)に対する公判は、まず陪審員の選定を行った。検察側は起訴罪状である「マンスローター(計画性のない殺人罪)」という犯罪の法的構成要件について「ルイジアナ州法では殺人罪の一つの形態であり、殺意とかその他の犯罪(強盗など)目的を伴わない、計画性のない殺人である」と陪審員候補に説明した。

 一方、弁護側は殺害の事実関係を争う意図は全くなく「私有地内(自宅)では、不意の侵入者に対する行為は米国社会通念として自己防衛と規定されている」と強調した。休廷中に記者会見に応じたアングルスビー弁護士は「裁判は銃規制という社会問題は争点にならない」と明らかにした。

 また、同弁護士は今回の法廷でピアーズ被告自身が証人として証言台に立つことを明らかにした。

 十二人の陪審員選定は十九日にも終わり、実質審理を経て早ければ週内に評決が出る可能性もある。

「計画性のない殺人罪」巡り、自己防衛と反論--服部君射殺公判で被告側

1993/05/18

十七日午前(日本時間十八日未明)、米ルイジアナ州バトンルージュ郡地裁で始まった日本人交換留学生、服部剛丈よしひろ君(当時十六歳、愛知県立旭丘高校二年)射殺事件のロドニー・ピアーズ被告(31)に対する公判は、まず陪審員の選定を行った。検察側は起訴罪状である「マンスローター(計画性のない殺人罪)」という犯罪の法的構成要件について「ルイジアナ州法では殺人罪の一つの形態であり、殺意とかその他の犯罪(強盗など)目的を伴わない、計画性のない殺人である」と陪審員候補に説明した。

 一方、弁護側は殺害の事実関係を争う意図は全くなく「私有地内(自宅)では、不意の侵入者に対する行為は米社会通念として自己防衛と規定されている」と強調した。

 休廷中に記者会見に応じたアングルスビー弁護士は「バイオレント・ソサエティー(暴力的社会)が現実である米国では、被告と同じ状況に置かれれば国民の大半が同じ行為をするだろう。これがマンスローターになるとしたら、アメリカ(社会)を非武装化するか法律(けん銃所持)を変えなければならず、これは立法府の問題だ」と述べた。

 また、同弁護士は今回の法廷でピアーズ被告自身が証人として証言台に立つことを明らかにした。刑事裁判で、検察側の反対尋問も受ける証言台に被告本人が立つことは異例であり、ピアーズ被告が起訴されたこと自体に対する弁護側の反発を物語っている。

 十二人の陪審員選定は十九日にも終わり、実質審理を経て早ければ週内に評決が出る可能性もある。

◆米国の陪審裁判

 有罪・無罪を決定する権限を持つのは陪審員だけ。陪審員候補者を地域の有権者の中から無作為抽出し、事件や訴訟当事者を知っている候補者、事件について予断や偏見のある候補者を除いて十二人を選定する。冒頭陳述、証人尋問、最終弁論の後、裁判官が陪審員に対し、事件に適用すべき法律や証拠判断上の原則を説明して評議へ。評議は密室で行われ、陪審員以外は入室できない。評決は全員一致が原則だが、ルイジアナ州では拘禁罪(マンスローターはこれに含まれる)は六分の五人以上の多数同意で成立する。評決が無罪なら被告は釈放され、検察官は上訴できない。有罪の場合は、裁判官が後日、量刑を言い渡す。

キング裁判始まる ロス連邦地裁

1993/02/04

昨春ロス暴動の引き金となった「ロドニー・キング事件」を審理する公民権侵害裁判が三日、ロサンゼルス連邦裁判所で始まった。陪審員選定をめぐって、かなり難航するとみられる。この日は陪審員の候補者約三百五十人に質問票が配られ、この中から十二人の陪審員を選ぶ作業に入った。検察官と弁護人は一週間かけて質問票を検討し、十日に予定されている次回の会合までに候補者の適格について判断する。

 ジョン・デービス判事によると、外部からの影響を排除するため、陪審員の候補者の質問票に対する回答や身分などについては一切、秘密にされる。

 審理されるのは九一年三月、ロスの高速道路でキング氏が白人警官四人に暴行を受けた事件で、カリフォルニア州の上級陪審裁判で無罪評決が下され、死者五十二人を出す暴動事件に発展した。ブッシュ前大統領は事態沈静化のため、再審理を約束していた。

良くも悪くも市民主義、米陪審裁判の素顔――ロス暴動に発展

1992/05/24

 ロサンゼルス暴動のきっかけとなった「ロドニー・キング事件」、元ボクシング世界チャンピオン、マイク・タイソンを刑務所に送り込んだ「レイプ裁判」そして「ハネウエルとミノルタカメラの特許訴訟」――。一見何のつながりもない三つの事件に、実は共通項がある。いずれも舞台が陪審裁判だったことである。陪審はプロの裁判官ではなく、一般市民があらゆる犯罪、紛争を裁く。「市民参加の公正なシステム」と称賛されながら、一方で陪審制度の欠陥を指摘する声も強い。米国の民主主義を根底で支えてきた陪審とは何なのだろうか。

 「ほかの陪審員に、ビデオを繰り返し見るよう頼みました。しかし返ってきたのは『またかね』という嘲笑(ちょうしょう)だけでした」

 「ロドニー・キング事件」の陪審員V・ロヤさんは、ロス暴動の直後、陪審の審議に対する不満をぶちまけた。十二人の陪審員のうち、黒人はゼロ。マイノリティー(少数民族)出身は二人だけだった。ヒスパニック(スペイン語を母国語とする中南米系の人々)のロヤさんは「陪審室に入る前に、だれもが心の中で(無罪という)評決を出していた」と語る。

 交通違反をした黒人青年キング氏を白人警官四人が殴打した「キング事件」の裁判は、まずロサンゼルス郡地方裁判所で始まった。警官側の弁護団が最初に打ち出した作戦が「裁判の場所の変更」。事件にかかわった警官はロサンゼルス市警察本部の所属。地元では市警本部長の更迭論が高まっていた。「こんな雰囲気の中で冷静な裁判は期待できない」。弁護団はこう主張した。

 裁判所は弁護団の主張を認めた。検察側はロサンゼルス郡と人種構成の似たアラメダ郡を希望したが、弁護側は白人居住の多いベンチェラ郡を主張した。裁判所はロサンゼルスから通う交通の便の良さを理由にベンチェラ郡を選んだ。

 ベンチェラ郡は新興住宅地だが、政治的には保守的。大都市と違って地域住民が警官に厚い信頼を寄せている。しかも、住民に占める黒人の比率は二%。事件担当のホワイト検事は「あの時にこの裁判は負けると思った」と述懐している。

 陪審は米国主義の原点といえる制度だが、一方で情緒に流れ、評決が陪審員の人種構成などに左右されやすい。このため裁判の場所、陪審員の選定が裁判の帰すうを決してしまうと指摘されてきた。

 キング事件では、まず選挙人登録名簿から四百人の陪審員候補を無作為抽出した。黒人は六人いたが、十二人の陪審員の中に残れなかった。選定手続きによれば、利害当事者や偏見の持ち主は、判事あるいは検事、弁護士が陪審員から排除する仕組みになっている。ある黒人女性は「警察官に憎悪を感じる」と答え、排除された。

 検察側は今回、陪審員候補全員を「適格」から「不適格」まで五段階にランク付けしていたが、ホワイト検事は「最後に残った十二人の中に、われわれの目から見た適格者は一人もいなかった」と語っている。

 この事件では、キング氏が警官に殴打される場面をアマチュア写真家がたまたまビデオにとっていた。ビデオでは八十一秒、五十六回にわたって警官が殴るけるの暴行を繰り返した。

 陪審員は法廷で三十回以上、スローモーションビデオを見せられたが、そのつど弁護団は「ほら、警官が手心を加えているでしょう」と指摘した。

 結審後、陪審員だけの協議は七日、三十二時間に及んだ。審議中、陪審員はホテルにカンヅメになる。テレビ、新聞は禁止。外部との接触を絶つためだった。

 今回の陪審の奇妙な点は、当事者のキング氏が出廷しなかったことだ。検事側が「ビデオがすべてを物語っている」と判断したというが、キング氏は事件直後に「酒酔い運転の事実はない」と虚偽の証言をしていた。このため陪審の心証を考え、証人として呼ぶのを控えたともいわれる。

 ブッシュ大統領は暴動の直後、司法省に裁判の調査を指示した。いまなお今回の評決への非難は強く、陪審員の自宅には脅迫電話が続いている。しかし陪審制度そのものを批判、否定する声は、黒人社会からもあがっていない。

 連邦地裁の裁判官に占める黒人の比率は五・二%。被告の黒人を白人の裁判官が裁くという構図は定着しており、ウォールストリート・ジャーナル紙は「陪審の方が、まだ人種の多様性を反映している」と指摘している。

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